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2016年版11月23日はゲームの日。由来やゲームの歴史について詳しく紹介。

公開日: : はやりもの


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こんにちは、ヒロです。

11月23日はゲームの日。由来やゲームの歴史について詳しく紹介します。

ゲームの日

全日本アミューズメント施設営業者協会連合会・日本アミューズメントマシン工業協会・日本SC遊園協会が制定。
仕事や勉強の尊さをはっきり自覚しながら、ゆとりある遊びとしてのゲームを楽しみ、ゲームと生活との調和が感じられる日であるとして、勤労感謝の日を記念日とした。
全日本アミューズメント施設営業者協会連合会
日本アミューズメントマシン工業協会
日本SC遊園協会


コンピュータゲームの歴史

コンピュータゲームはその萌芽から実は100年くらい経ってるんです。ということで、その100年の歴史を一気にまとめてみました!

産声は欧州から




世界最初の機械仕掛けのゲームはチェス。スペインの技術者レオナルド・トーレス・ケベードが「エル・アヘドレシスタ」と呼ばれたチェス機械を作ったそうです。

アメリカでの発展


1946年にはドイツ生まれのアメリカ人研究家、ラルフ・ベアがオシロスコープを使ってピンポンゲームをしていたそうです。彼はのちに世界初のTVゲーム機を作ります。



1950年代にはWhirlwindという巨大なコンピュータで、「バウンシング・ボール」というゲームが動いていたとされています。さらに1952年ケンブリッジ大学の学生アレキサンダー・ダグラスはコンピュータと対戦する三目並べの 『OXO』 というプログラムを作成。初のビデオゲームとされています。

1958年にはブルックヘブン国立研究所のウィリアム・ヒギンボーサムがアナログコンピュータとオシロスコープを用いた「Tennis for Two」を作ったと言われています。



1962年マサチューセッツ工科大学の学生スティーブ・ラッセルが『スペースウォー!』を発表。これをみたノーラン・ブッシュネルはビジネスに乗り出します。1969年、ラルフ・ベアが一般的なテレビ受像機に接続して数種類のゲームが遊べる「ブラウンボックス」を完成させるが製品化に至らず。

世界初のコンピュータゲーム会社誕生



1971年ノーラン・ブッシュネルが『スペースウォー!』をヒントに世界初のアーケードゲーム版コンピュータゲーム『コンピュータースペース』を製作・発売したが人気出ず失敗に終わる。

1972年ラルフ・ベアがマグナボックス社から世界初の家庭用ゲーム機「オデッセイ」を発売。

ブッシュネルは「オデッセイ」に感銘を受けて5月にアタリ社を創業。『PONG』を11月に発売し大成功を収める。のちにアタリ社の40番目の社員としてAppleのスティーブ・ジョブズが入社。ウォズニアックに協力を得て「ブレイクアウト」の再設計をこなす。ジョブズがアタリに入社した事が後日Apple創業への足掛かりになる。

1975年、初のアドベンチャーゲーム『アドベンチャー』が登場。同年、初のコンピュータRPG『ダンジョン』が登場する。
1977年、アタリ「Atari 2600」をアメリカで発売。空前の家庭用ゲーム機ブームに。全米の約30%の家庭に普及したという。その頃、任天堂初の家庭用ゲーム機「テレビゲーム15(テレビゲーム6)」も誕生。

同年にはアップル「Apple II」が完成。のちのゲーム業界へ多大な影響を与える。

日本も参戦


1980年、アメリカの玩具メーカーであるマテルがインテレビジョンを発売。
同年5月、日本でも動きがあり、ナムコの『パックマン』が誕生。任天堂もゲーム&ウオッチを開発・発売している。


1981年の日本ではPC-8801、カセットビジョンなどのハードが発売。

その頃、歴史的なソフトが2つ誕生している。イギリス生まれのアメリカ人リチャード・ギャリオットが作った「ウルティマ」とロバート・ウッドヘッドとアンドリュー・グリーンバーグが作った「ウィザードリィ」の2大RPGが時を同じくして誕生していた。



1982年の欧州ではZXスペクトラムが発売。欧州では長年愛されるゲームコンピュータとなる。

日本ではPC-9801、ぴゅう太といったハードに加え、任天堂の宮本氏がデザインしたドンキーコングが産声を上げていた。

アメリカではコモドール64、コレコビジョンといった家庭用ゲーム機が発売されていた。

アタリショック、そして…



アタリ『E.T.』発売。品質が悪く、ユーザー評価をきちんとせずに発売してしまったため、クソゲーの地雷原と化していたアメリカゲーム市場にとどめを刺した(所謂アタリショック)作品として有名。2014年にニューメキシコの砂漠から埋蔵処理された多数の在庫が発見されることになる。長年、都市伝説として流布されていたが現実だったことが判明した。



1983年にはいよいよ我らが日本の誇るファミリーコンピュータが登場。北米にはNESとしてアタリショック後のゲーム市場を復興する役割を担うことになります。

その他のハードとしてはマイクロソフトとアスキーが手を組んだ「MSX」やセガの「SG-1000」「SC-3000」、誰も知らないかもしれないバンダイの「コンピュータービジョン 光速船」などが発売しています。

ソフト面でいくと不朽の名作ゼビウスや今でいうインディーズゲームの「ドアドア」を作成したゲームデザイナー&プログラマーの中村光一氏が頭角を現します。そして歴史シミュレーションの雄、信長の野望もこの年に誕生しています。


1984年には早くもファミリーベーシックが登場。その他ハードとしてスーパーカセットビジョンが投入。しかしファミコンの牙城は翌年に確固たるものになり、しばらくは独占状態が続くことに。

翌年にファミコン版に移植される「ドルアーガの塔」のアーケード版も登場。あれをアーケードでクリアした猛者はいるのでしょうか・・・?

ファミコンブーム来きたる




1985年、歴史を変えるゲーム「スーパーマリオブラザーズ」が誕生。このヒットによりファミコンの家庭用ゲーム機戦争における勝利が確定したと言っても過言ではないでしょう。

その他、横スクロールシューティングの名作「グラディウス」、のちにパーティゲームと発展を遂げる「ボンバーマン」(最初はロードランナーのスピンオフ的位置づけだった)、パソコンRPGの金字塔「ザナドゥ」が発売されている。ザナドゥは約40万本という、破格の販売本数を誇っている。

ハードとしては米コモドール社からアミガが発売。そしてファミコン派にならなかった陣営から熱い支持を受けたセガ・マークIIIが発売となっている。



1986年には日本の国民的RPGとなる「ドラゴンクエスト」が発売。当時集英社にてライターをやっていた堀井雄二氏と連載を持っていた鳥山明氏などジャンプ色満載であった。前述のプログラマー中村光一氏をメインプログラマに5か月という開発期間で完成された。堀井雄二はウルティマやウィザードリィのようなゲームをファミコンで実現するために3部作を通してユーザーを教育するという画期的な手法で成功を掴んだ。

その他、ファミコンディスクシステムとその専用ソフト「ゼルダの伝説」が誕生。のちにセガのRPG代名詞となる「ファンタシースター」もこの年に誕生している。


1987年、ドラクエのヒットを追いかけるように発売されたのが今や国民的RPGの双璧となった「ファイナルファンタジー」の1作目だった。坂口博信氏によって作られた本作はスクウェアにとって最後のコンシューマーゲームへの挑戦だったというのは有名な逸話。

その他、3人パーティとなった「ドラゴンクエストII 悪霊の神々」が発売。悪魔合体が独自な人気を博したRPG「デジタル・デビル物語 女神転生」も誕生。スパイアクションで世界を席巻した「メタルギア」第1作目もこの年に生まれている。パソコンゲームRPGでは名作「イース」が発売された。

ハード面ではシャープが手掛けた高額なゲーミングPCの「X68000」が登場。そしてファミコンの表現をはるかに凌駕したことで一定の人気を博した「PCエンジン」がNECホームエレクトロニクスから発売されている。日本の電機メーカーでは唯一早くからゲーム市場にアプローチしていたのがNECホームエレクトロニクスであった。



1988年、それまでは子供のおもちゃに過ぎなかったゲームが「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」の発売を機に社会現象へと大きく姿を変えます。発売日に学校を休む人、恐喝されて買ったばかりのドラクエを奪われる人など、明らかに熱狂がファミコンを取り巻いていたのでした。今だとiPhoneみたいな。

この年にでたハードはセガの「メガドライブ」PCエンジンの後継「CD-ROM2」と次世代の波が早くも起きています。

また、ロシア生まれの”落ちゲー”「テトリス」が生まれたのもこの年。多くの人がこれでロシアを見直した気がするのは僕だけでしょうかw


1989年には任天堂初の携帯ゲーム機「ゲームボーイ」が登場。RPG人気がいきおい重厚長大さを持ち始めたタイミングでライトなゲーム体験を取り戻すという今思うと任天堂のその後の姿勢が垣間見られる製品でした。

ソフト面では、いわゆる「RPG=中世」という既成概念を払しょくする糸井重里氏の快作「MOTHER」が登場。セガには「ファンタシースターII 還らざる時の終わりに」が。セガはグラフィックの高品質さもあいまって、ちょっと大人びたゲーム感がありました。そこが魅力であり敗因でもあったのかも。普通に大人がゲームをする今なら違ってたのかな?

ゲームが産業に




ファミコン発売から7年後の1990年、その正当進化版「スーパーファミコン」が登場しました。メガドライブやPCエンジンにも引けを取らないその性能とソフトラインナップで盤石の地位を得ます。

ここにきてソフトはどんどん続編志向になっていきます。「ドラゴンクエストIV 導かれし者たち」「時の継承者 ファンタシースターIII」「ファイナルファンタジーIII」と大作の続編が出されゲーム業界は一気に加速。

その余波のなかで「ネオジオ」のような挑戦的ハードも登場。任天堂を追従するセガからはゲームボーイの対抗馬として「ゲームギア」が発売。こっちはフルカラー液晶でアドバンテージを見せつけますが、いかんせんバッテリーが持たなかったのが敗因。。



1991年はハードに動きなし。家庭用ゲームに押され元気がなかったアーケードゲームに颯爽と登場したのが「ストリートファイターII」。「格ゲー」の代名詞となった本作はゲーセンに中高生男子を呼び戻すことに成功したのでした。

スーファミで初の大作RPGとなった「ファイナルファンタジーIV」が発売。それまでユーザーが脳内で補完してきた景色を技術力で具現化。度肝を抜かれたひとも多かったのでは。

いっぽうセガにも「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」「ぷよぷよ」など強烈なIPが誕生。その後根強い人気作となった「スーパーロボット大戦」もゲームボーイにて産声をあげています。



1992年、任天堂とフィリップスがスーパーファミコンの周辺機器「スーパーファミコンCD-ROMアダプタ」を1993年に発売予定にすると発表するもお蔵入りに。ハードはver1.0とver1.5のようなアップデートを経てから次世代に移るのが手法のひとつですが、それに近い動きですね。SONYとのプレステ構想とは違う話だった模様。

また、この年にマリオが主役のレースゲーム「スーパーマリオカート」が誕生。F-ZEROよりももっと親しみやすくなって、老若男女楽しめるレースゲームとして人気を博します。



1993年、「ストII」ブームに続きゲーセンが盛り上がる傑作がもうひとつ登場。当時としては見たことのない全ポリゴンの格闘ゲーム「バーチャファイター」!これは一体なんだという3Dに馴染みのないユーザーはその動きに一気に魅了されたのでした。

ハードとしてはファミコンをすっきりリニューアルした「ニューファミコン」が登場。スーファミ世代にファミコンを遊んでもらうきっかけになりました。セガは「ファンタシースター 千年紀の終りに」で一旦PSシリーズに区切りを。外伝を除くと次のオンラインまでこれが最後の作品となりました。

まさかの世代交代




1994年、次世代機戦争勃発。本命は「セガサターン」「PlayStation」。それを追いかける「3DO REAL」「ネオジオCD」「PC-FX」の面々。王者、任天堂の姿はそこにはなく、スーファミでゲームボーイソフトが遊べる「スーパーゲームボーイ」を出したのみ。この競争に乗り遅れたことが後々まで任天堂を長い低迷に向かわせます。

ソフトではギャルゲーの代名詞「ときめきメモリアル」と乙女ゲーの代名詞「アンジェリーク」が同時期に誕生。当たり前のゲームに飽き足らないユーザーの需要を反映しているような文化の成熟期を思わせますね。。



1995年、相変わらず任天堂は次世代ゲーム機戦争には参加せず独自路線を模索します。横井軍平氏の遺作となった「バーチャルボーイ」や「サテラビュー」など時代が早すぎた迷走を繰り返しますが、ファミコンで挑戦したホビーパソコン群に対して専用機で勝ったという成功体験が安易な次世代機参入を拒んだ理由でしょう。

いっぽう、ソフト面ではPSという大容量ゲーム機ならではの「Dの食卓」を飯野健二氏が開発。スーファミのほうではスクウェアが黄金時代を迎えます。「クロノ・トリガー」「聖剣伝説3」「フロントミッション」など新規IPの素晴らしいゲームが続々と誕生していました。



1996年、日本全国の少年少女のハートを鷲掴みにするまさにモンスター級のゲームが誕生。「ポケットモンスター 赤・緑」です。のちに全米でも大ヒットとなります。

PSソフトでも新しいジャンルが開拓され「バイオハザード」「パラッパラッパー」などゲーム体験がまさに次世代を迎える中、相変わらずスクウェアが「バハムートラグーン」「スーパーマリオRPG」などかなりの良作を産んでいます。

ハードの動きでは、ようやく自社なりの次世代ゲーム機を定義した任天堂の「NINTENDO64」が発売。しかしPSのようにCDROMでの開発ではなくROMカセットにこだわった為サードパーティに恵まれず、ヒットには至らず。その代りに「ゲームボーイポケット」を登場させ、携帯ゲーム機市場では躍進を遂げます。

なぜかバンダイとAppleが手を組んだ、こちらも時代が早すぎて普及できなかったネットワーク対応次世代機「ピピンアットマーク」がひっそりと出ては消えていったのでした。

PlayStation時代の幕開け



1997年、押しも押されぬヒットメーカー集団と化したスクウェアが「ファイナルファンタジー7」をPSにて発売。それまでの2Dから3Dへとグラフィックを変化させ爆発的ヒットを生み出します。これによって任天堂からSONYへと次世代戦争のバトンが次のステージに移ったことを決定づけた事件となりました。コンビニでゲームが買えるようになったのもこの時からです。

同年、セガとバンダイが合併を発表するもバンダイ側の内部から反発があり破談に。

また、それまで任天堂の問屋流通を支えていた初心会が解散。世代交代が起きたことを如実に表していた。

ソフトの発展面ではオンラインゲームとして「ウルティマ」が躍進。「ビートマニア」がヒットを飛ばし、「音ゲー」という新たなジャンルができつつ、ゲームセンターを賑わす事となった。


1998年、セガ最後のハードとなる「ドリームキャスト」が発売。任天堂からは中途半端なカラーマシン「ゲームボーイカラー」が。「ネオジオポケット」なんてものもありました。



1999年、世界の終わりはやってこず。バンダイから元・任天堂の横井軍平氏が手掛けた「ワンダースワン」なる携帯機が発売に。その任天堂からは「64DD」が発売するも盛り返せず。MOTHER3が出なかったことも敗因だったのでは。同年「ネオジオポケットカラー」が発売。



次世代戦争も勝者が見えてしまった2000年、その勢いに乗って「PlayStation 2」が登場。FF11に対応するべくHDDを組み込めるタイプも出て、初めて家庭用ゲーム機にストレージの概念が登場しました。

そのPS陣営の完全勝利を象徴するように「ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち」がPS1で発売。これで日本国内の2大RPGがどちらもPSプラットフォームを選択したことになりました。

いっぽう、セガのドリームキャストには「ファンタシースターオンライン」が登場。7年ぶりにシリーズが本格復活したのでした。

バンダイの「ワンダースワンカラー」にはFF1、FF2、FF4がローンチタイトルで登場し話題になりましたが、FF3は開発途中の画面写真まで公開していたにも関わらず、お蔵入りに。。幻の美麗2D版FF3となりました。

業界再編の波が襲う




2001年。21世紀はゲーム業界にとって暗い見通しで始まりました。セガが健闘空しくドリームキャスト製造を中止。ハード事業から完全撤退をしました。湯川専務の体を張った宣伝が痛々しかったです。。

同年、ゲーム市場の翳りの遠因となったかもしれない、NTTドコモ「503i」シリーズがJavaアプリを搭載して登場しています。若者の可処分時間・所得を奪ったケータイは色んな業界から「若者の○○離れ」の原因にされていますが、御多分に漏れずここでもそう言われました。

任天堂はようやくカセットではない次世代機「ニンテンドーゲームキューブ」を発売。フルカラーとなった「ゲームボーイアドバンス」は据え置き機の不調を支えるように人気となります。

久しぶりのアメリカゲーム機、「Xbox」がマイクロソフトから発売。色々問題をおこしながらも本気の立ち上がりを見せます。



2002年、「ファイナルファンタジーXI」登場。日本人にとって初めてといっても良いほどのオンラインRPG体験が起き、いわゆるニート的なことに陥るほど中毒者をだすくらい面白い体験となりました。

しかし、いっぽうでは日本のゲーム市場が前年比で1000億円近い減収となり、日本における市場縮小が顕著化したのもこの年です。コンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)なるものも発足し、業界が円熟期を迎えたことを示しています。



2003年、折り畳みケータイに感化されたのか「ゲームボーイアドバンスSP」がコンパクトになって誕生。かなり持ち運びやすくなったと大人ユーザーに好評でした。

映画事業で赤字が出てしまったスクウェアとエニックスが合併、スクウェア・エニックスとなり、業界に衝撃が走りました。FFとドラクエが同じ会社のIPになるという強烈さと、その2つがあってすら合併しなければ乗り切れない市場になったという事業環境の厳しさが同時に印象付けられた事件でした。

さらに進む経営の統廃合




2004年は明るい兆しが。前作より4年というシリーズでは比較的短いインターバルで登場した「ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君」。その完成度と損なわれていない「らしさ」が好評を博しました。開発はこの件で知名度が上がったレベルファイブ。



そしてハード面でも「ニンテンドーDS」「PSP」と携帯ゲーム機市場の次世代を担うハードが登場。ただ、セガとサミーの経営統合もあり激動の時代に終わりは見えません。



2005年、まだまだ続く業界再編。。コナミがハドソンを傘下に。そしてスクウェア・エニックスがタイトーを傘下に。バンダイとナムコが経営統合、とただならぬ様相を呈します。


そんな日本市場を横目にストーンズのジャンピン・ジャック・フラッシュを流しながら「ハイデフハイデフ」とXbox 360が登場。北米では確固たる地位を確立したマイクロソフトですが日本では苦戦を強いられます。

日本で唯一好調になった任天堂は「脳を鍛える大人のDSトレーニング」「ゲームボーイミクロ」など独自路線を打ち出していきます。

任天堂の復活




2006年、次世代機が2つ登場します。広大な構想を掲げた「PlayStation 3」と逆にライトさに重きを置いた任天堂「Wii」です。PS3は当初価格が高く出足が良くなかったですがWiiの方はコントローラなどの新機軸が新しい遊びの提案となり世界でも広く受け入れられることになります。

DSもスタイリッシュになり「ニンテンドーDS Lite」としてヒット快進撃。それを後押しするように「MOTHER3」や「New スーパーマリオブラザーズ」など任天堂らしいヒットソフトの連発が94年に次世代機戦争に敗れてから12年振りに好調な任天堂の復活を印象づけました。

スマホ、ソーシャル、混戦の世界へ




2007年はパラダイムの転換が起きた注目すべき年になりました。まず、かつてアタリ社でエンジニアをやり、AppleIIでPC/ゲーム業界に可能性を創造したスティーブ・ジョブズが「iPhone」という革命的なデバイスを引っ提げてゲーム業界に30年の歳月を超えて再び関わることになります。

また、新世代の遊びとしてネット上で繋がる友達のソーシャルグラフを利用してゲームをする「Facebook Platform」をマーク・ザッカーバーグがブラウザ上で展開します。

同年には「Wii Fit」や「モンスターハンターポータブル 2nd」も出ていますがこの流れがその後、無視できないほど大きくなるとは誰も考えていなかったのかもしれません。


2008年はスマホアプリ元年になります。当然その中身にゲームが含まれ、というよりもゲームこそが本命だったということがすぐに明らかになるわけです。7月に「App Store」、10月には「Android Market(現・Google Play)」が開設され、こぞって開発者が参加していきます。



2009年、ハード面では早すぎた迷作「PSP Go」と安定進化の「ニンテンドーDSi LL」が登場。PSP Goは来るべきダウンロード時代を掴んではいたんですが…DLしか出来ないっていう。。

任天堂はスマホもどこ吹く風とばかりに「New スーパーマリオブラザーズ Wii」で久しぶりにリビングを賑わします。その最中「Angry Birds」のようなマルチデバイス向きライトゲームが登場。DSで開拓したライト層をスマホに奪われていく兆候が。

スマホの台頭と交差するように北米ではゲーム市場が縮小。サブプライム→リーマン・ショックでゲームしてる場合じゃないという人が増えたんでしょうけど…。



2010年、ますます加速するマルチデバイス化。「iPad」や「Kinect」などハードの新機軸は北米にお株を奪われてしまう日本はいつのまにか世界市場の占有率が50%→10%にまで低下。



そうはいくかと2011年、世界に冠たる「nintendo」と「SONY」は「ニンテンドー3DS」「PlayStation Vita」とそれぞれゲーム大国のメーカーとして意地を見せます。特に3DSは世界で初めて裸眼3Dという技術を製品として活用した驚きのハードで、スマホにはないアドバンテージを示しました。



2012年はパラダイムの転換が証明された年になりました。ガンホーから出たスマホアプリ「パズル&ドラゴンズ」はソーシャルゲームのような課金形態を脱し、ゲーム性を追求。緩やかな課金という方針で数千万DLという偉業を成し遂げます。Googleのサーバがパズドラのせいで影響を受けるほどでした。

いっぽう、任天堂もWiiや3DSの成功の延長ということで新たなゲームパッドを搭載した「Wii U」を発売するも開発者、ユーザー共に価値が伝わらず苦戦を強いられることに。



Wii Uの失敗があり、任天堂が上場から50年目にして初めての赤字に転落。
過剰な課金を追求しすぎた「コンプガチャ」も問題になりました。


スマホアプリとして一気に躍進したLINEがその閉じられたソーシャルグラフを活かしたゲームプラットフォーム展開を拡大。2012年、まさにゲーム戦国時代。

クラウド、マルチデバイス、新世界へ




2013年、shareというキーワードと共に「PlayStation 4」がローンチ。おおむね好調なスタートを切る。

同時に「PlayStation Vita TV」というマルチデバイス展開も。マイクロソフトも負けじと「Xbox One」を投入。時代はクラウド戦争に突入。その新たな時代の騎手として「OUYA」という完全にクラウド環境でのゲームプラットフォームが登場。ハードそのものではなく、仕組みで勝負する世界へ。

いつのまにか海外ゲームメーカーも復活をしていて「Grand Theft Auto V」が「24時間で最も売れたビデオゲーム」としてギネス記録に。アタリショックも今や昔。遠くになりにけり。



2014年、ネット通販のAmazonも「Fire TV」というデバイスでゲーム・映像配信に参戦。

日本ではポケモンを上手く踏襲した「妖怪ウォッチ」が子供の心をガッチリキャッチ。面白ければ売れる、ということを証明した。レベルファイブのマルチメディア戦略が功を奏したとも言えるが…。

世界の工場であった中国が経済発展と共に開国の兆し。13億人の市場を誰が掴むかインドと共に注目すべき市場として立ち上がりを見せる。

まとめ

ゲームといえば、日本が一番発展させてきたと行っても過言ではありませんが、スマホゲームになって他国もすごい勢いで追い上げています。
ゲーム機は、スマホゲームにはスマホゲームのコンシューマゲームにはコンシューマゲームの良さがあるので、その強みを強調して更に日本のゲーム業界が発展して行ってほしいですね


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消費税について考察

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